気仙沼へ

3月26日(土) 会社を代表して私と社長は、支援物資を積んで午後10時発のフェリーに乗り込みました。

2トラックに食料、飲料(もちろんアルコールも)から日用品やガスコンロ、炭、毛布等など

必要だろうと思われる物資を社員総出でアイデアを出し合い、仕入れ、荷台を満載にしました。

その日は偶然にも、新しいトラックが納入される日でした。「これも何かのお導きだろう」と成田山で安全祈願し、私達は一路気仙沼に向かったのです。

ところがこの2人、お互いが方向音痴であることを知りませんでした。

社長にいたっては、フェリーの客室からトラックへ移動するだけで迷っている始末です。

(よかった!前もってパソコンから気仙沼までの地図をプリントアウトしといて)

頼れるのは自分だけだ!と思っていたら、社長はモソモソと持ってきたipadで地図を開き、

「何だ?これ」と言いながら、私に「この点滅が地図を移動してるんだよな」と不思議そうに聞いてくる。

(うっ!これナビの機能もついてんの?  すげ~)

すっかりナビに夢中になった社長を頼りに、真夜中の東北自動車道を南下した。

(高速道路は1本道だが、方向音痴の2人には無くてはならない必需品である)

気温はマイナス6℃で雪も降り出した。

大型トラックやトレーラーが、まるでバファローの群れのように雪煙を上げながら追い越していく。

それに比べれば2車なんて子羊がメ~メ~鳴きながら走っているようなもんだ。

「くぉら~~~ どけどけ~っ!!」と言われながら、命からがら走っていると、自衛隊の長蛇に出くわした。

制限速度内で走ってくれる自衛隊の後ろにつき、やっと安住の地を見つけた。

新車の運転にも慣れてきたので、お世話になった自衛隊に「ご苦労様です!」と別れを告げ、慎重に追い抜く。

サービスエリアで気が付いたが、路面は凍結していた。やはり安全運転第一だ!

途中で事故ったら何しに行ったかわからなくなる。と言うより会社で何言われるか、想像しただけでゾッとする。

夜が明け、一関インターで降りると、早速ガソリン待ちの車の超長蛇の列に出くわす。

いたる所のスタンドでこの状態だ。

こんな非常時の朝早くから、皆マナーを守って並んでいる。

日本人の成せる技だ!と思いながら先を急いだ。

ipadが大活躍。

やっと気仙沼の駅に辿り着いた。朝7時頃だ。

会社の立ち上げ当初、大変お世話になったマグロの卸売会社が気仙沼にあり、「直接お見舞いせねば」と、社長自ら走ってきたと言うわけだ。

駅まで迎えに来てくれた専務(息子さん)に案内されて、避難した娘さんのマンションに行き、心配していた社長に会う事が出来た。

被災当日、リハビリの為病院へ向かっていた社長は難を逃れ、従業員も皆無事だった。が、家族が犠牲になった方もいるそうだ。

気丈にも、「再建する」と力強く答えてくれた社長に別れを告げ、支援物資を降ろし、この度の目的を果たした。

「街の被害を見ていきますか」という厚意に甘え、車で市街地へ入っていった。

そこで見たものは、想像を絶するものでした。

まさに「死」の世界です。

あらゆるものが破壊され、瓦礫と鉄くずとなっており、全てなぎ倒されていました。

海の直前にある本社は2階の天井まで津波が押し寄せ、マグロを大量に保管していた冷凍庫は破壊され、全てを失ったそうです。

まわりを見ると、建物は倒壊し電柱は折れ曲がり、車は散乱し、船は打ち揚げられ、海には船底を上に逆さまになって

沈んでいる船が見えた。

その破壊力は・・・。言葉を失う。

高台まで車で行き、そこから傷跡の全体像を見ることが出来た。

晴天に恵まれた空と海は、茶色く壊滅した町に不釣合いに見えた。

指をさして教えてくれた場所に人々が避難して行ったが、「そこに津波が押し寄せてさらって行ったんです。目の前でもみんな流されました。」

車で逃げようとした人達は渋滞に巻き込まれ動けなくなり、車ごと流された。

話しを聞きながら、嫌でも想像力が増していき悲惨な状況が頭にこびり付いた。

何から手をつけて行けば良いのか全くわからない状態だ。

この地でこの人達は、どのように生きて行くのだろうか。

頑張って下さいとも言えない。

思わず「この先どうするんですか?」と聞いてしまった。この廃虚でどう復興するんですか。

「まず、遺体捜索です。」専務が答えた。   「遺体を捜します!」

(あっ!・・・ そうか! みんな遺体を捜したいんだ! 亡くした家族や友人を捜し出して、きれいにしてあげたいんだ)

復興なんかの前に、この人達にとって一番の心残りはそれなんだ。

そう思ったら目頭が熱くなった。

地震の日、私は東京の立川で「北海道物産展」に行っており、7Fで強烈な恐怖を味わった。

だから、気仙沼は他人事には思えず、何かの役に立ちたいという一心でここまで物資を運んで来た。が、

この惨劇にはあまりにも小さく、無力に思えた。

別れ際、何度も深く頭を下げる専務と社員に、やはり「頑張って下さい」としか言えなかった。

私達はまた明日から日常に戻るが、彼らはこの先ずっと続く復興と向き合うのか。

なんだか  つらい

犠牲になった多くの方々に対し、心より御冥福を申し上げます。